エスプリプロジェクトにようこそ

新宿で哲学カフェ、読書会、ボードゲーム、TRPG会、人狼、その他イベントの企画開催しています。

哲学カフェに求められているものって、なんですか?

エスプリプロジェクトにようこそ

2018年12月エスプリのテーマは『振り返る/問い直す』だから

 ごぶさたしてます、レナ(@esp_rit)と申します。
 2018年最後(12月)の哲学カフェが終わりました。ここ最近でもっとも驚いた展開(わたし的に)となったので、文章でも振り返り、問い直しておきます。

開催データ 

問い『いま哲学カフェに求められているものとその理由』

  • 日時:2018年12月8日(土)14:00~16:00
  • 場所:池袋 -- がんばれ! 子供村 プレイルーム(3F)
  • 費用:参加費(500円)+食べ物飲み物持ち込み自由
  • 持物:筆記用具、心意気、清潔感、ソフトドリンク・軽食持ち込み自由
    出入り自由(途中参加、退出可)。託児サービスはご用意できませんが、お子さん連れでも参加可です。

 

求めているもの→求められているものを立ちのぼらせたい

今回の問いは、興味関心をひくものがわっさわさある現代日本(東京)において、わざわざ哲学カフェに時間をさいちゃう人間たち(そういう人が好きなんですけど)が、哲学カフェになにを求めているのかなぜそれを求めるのか、それは現代の東京(都心)ならではのことか、もう少し普遍的なのか、いま哲学カフェを知らない人もそのなにかを求めるのか、そんなことを問うてみます。

 事前説明としてこんなことを書いたのですが、以下のことを考えての内容(問い)です。

 

  1. 哲学カフェに集う人々はなにを求めるのか
  2. 求めるものは普遍的要素が強いのか、時代や場所など条件に左右されやすいのか
  3. そもそも哲学カフェってなんやねん(場の構成要素、骨子など。物理的なものだけでなく、心理的なものも含む)

 

 わたしにとってまず重要なのは、他人に影響される前の個別的な意見を聞きたい。ということ。なので最初に『あなた自身が哲学カフェに求めるものや、なぜくるのか』などを紙に書いてもらいました。その紙をもとに話し出してもらったのですが、ここからまず衝撃っていうか(おおげさww)「えっ、あ、そこかーーー」という、まさに自分の哲学カフェ麻痺にぶちあたったのでした。

 

あなたが哲学カフェに求めるもの、なぜくるのか

 超ざっくりした方向性のひとつに『○○だから、他人の意見を聞きたい、聞いてもらいたい』がありました。○○には、勉強的な知識だけでなく、さまざまな知恵や価値観、自己や他者理解を深めるなどなど、ですね。事前にわたしが考えていたのは、

 

  • 心理的・物理的な安全性
  • 参加者や意見の多様性
  • 環境(場所や物理的な居心地のよさ)

 

 などを参加者は求めるのでは? と思っていたのですが、そういう点を意識していたのは、別の哲学カフェを運営している人だけでした。

 やる側と参加する側、何度も参加している人とし始めの人、哲学をまなんできた人とよくわからんうちに哲学沼にわけいった人(わたしな)で、感覚がちがうのは当然です。

 どちらでも、なんでもいいのですが、家に帰って受け取ったメモを1枚1枚みていたら、立ちのぼる素朴な力強さに感動してしまいました。紙を受け取れなかった人もいましたけど、本当にこのメモの内容はどれもすてき。書いてくださったみなさん、ありがとうございます。

 なぜ家に帰ってからの話なんだってことなんですけど、実際の対話の場ではこの話は最初にちらっとでただけで、ほとんどおこなわれなかったのですよwww これだから哲学カフェはたのしいね。

 

『真理』というやんちゃワード

 エスプリの哲学カフェで、わたし(レナ)がファシリ的位置を取る場合、基本的にはすべて流れに任せます。ほぼ介入しないので、まれに問いガン無視展開になるのですが、それは参加者のみなさんすみません、許してくださいって感じです。

 で、今回まさにその展開になりました。しかもほぼ最初からwww ちょ、最初ですよみなさんwww←わたしの心境。

 口火を切ってくれた参加者さんが『真理』というやんちゃワードというか、マジックワードを注釈なしで使うものだから、ほかの方の反応がすごいすごいwww

 こういう場に集まる人は、どんな条件でそのことばを使っているかに敏感なので、発言者に質問が集中しました。

 吊るしているわけではない(とわたしには思えた) のでしばらく静観しましたが、ざっといえば『真理自体あるかないか』と『ある条件下では真理はあるが、どういう条件ならあるか』の2つの流れがありました。最初から、えっwww な展開でしたけど、この話自体は野趣を感じてよかったです。

 

ここから『宗教』のターンだ!

 真理はありまーす! と断言することは危険じゃないか? という流れから、大学1年のときに新興宗教のサークル*1 から「哲学しましょう\(^o^)/」と勧誘を受けたっていう話を披露してくれた方がおりました。それをきっかけに宗教の話題になったんですが、ざっくりいえばこんな感じ。

 

  1. 宗教と哲学の違い
    宗教は、偉いとされる人や神がこれは真理を断言し、それを疑わないこと
    哲学は、それ(にかぎらないけど)を疑うこと、がちがうんじゃね?
    わたしが以前きいてなるほど思った違いは、宗教の最終目的は救われることだって話。わたしは哲学って最終的に救いがあるかないかは問わないという認識なのでそこが違う。
  2. 宗教に否定的態度を取るのは危険ではないか
    今回は、『なんらかの宗教(信仰)をもっている人が多くいる、それをいいにくい社会のなかで、宗教を無邪気に他人事のように(?)あつかっていいの?』という感じでした。
  3. 信仰がある人はむしろしあわせにみえる
    これ、わたしは感覚的にわかります。この話をしてくださった方は、信仰のあるひとの幸せそうなようすを偏見の目でみていませんか? みたいなニュアンスで語ってくれたと思います。ちがったらごめん。

 

 2について個人の感覚ですが、哲学カフェに集まる人間は、新興含む宗教に関心が高い傾向にあると思います(偏見が薄いといいかえてもいい)。エスプリはイスラーム勉強会もやっているので余計かもしれませんけど。

 わたしは場において誰かが宗教をくさしてる印象はなかったですが、これは宗教にかぎらない大事な視点ですよね。LGBTQとか、マイノリティ関係なんでもそうですけど、無邪気にというか、どこか他人事のように話題にしてしまうのはわたしも誰もがやりがちというか。こういう微妙な他者感覚って自分のなかにどう包括していけばいいのであろうか。

 

ホームレスを例に、清潔感とか参加の条件とか

哲学対話初体験~初心者、仕事とか学校と家庭以外のサードプレイス的な場所があればいいなーと思っている、新しいことをやりたい、海外をルーツに持つ、バックパッカーや旅人、フリーランス、経営者、かわった職業についている、意識高い系、むしろニートネカフェ難民、収入は低くても楽しく人生を過ごしている、社会貢献したいと思っている、キャンプ・アウトドアが好き(主催の好み)、ボドゲTRPG好き(主催の好み)、ひとみしり、コミュ障さんなどなど。参加に必要なのは、内面の積極性と清潔感。実際に清潔でなくても清潔感があればOKです。(略)

 唐突ですが、エスプリではイベントの募集記事に、特にこんな人を歓迎してます、みたいなことを書いています。

 この記述、深く考えていないんですが、だからこそにじみでてくるもの、伝わっちゃうなにかがあるようで、昔からいろいろな角度でツッコミをいただいてます☆(いい悪いではなく)。今回もこんなツッコミいただきました。

 これだけたくさんのOKが並んでいるのに、清潔ではない(清潔感のない例えばホームレスの)人はきてはいけないの?

 これは哲学カフェ中の発言だったので、ここからさまざまな意見がでました。

 

  • 清潔感だけってむしろゆるい(誰でもきていいよ感ある)
  • 内面性をあげているところが多いがエスプリはそうじゃないことを書いている
    たとえば、人の話をよく聞くみたいなことは書かれがちだけど、バックパッカー歓迎☆はあんま書いてない、みたいなことですね。この視点はわたしにとって新鮮でした。
  • 書くことで取りこぼされることはあるが書かれていないとそもそも意識にもあがらない
    コミュ障OKとか子どもOKと書かれていてはじめて選択肢として考えはじめる。書かれていなければそもそも行こうと考えすらしないみたいな
  • においのきつい(ホームレス的な)人がきてしまうと実際対話どころじゃないっす(という体験談)

 

 特徴的な意見はこんな感じでしたが、清潔について言及してくれた発言者さんの意図は、

 

  1. 哲学カフェは誰にでも開かれた場じゃないの?
  2. だからこそ起こり得る意外性が思考やパラダイムシフトに大切なんじゃないの?

 

 じゃないかと。わかんないけどwww

 そう仮定して考えると、理念的には開かれた場だとしても、実際100%開かれた場ではない。その認識がわたしにはあります。いい悪いでなく、そもそもそんな場は可能なのかな? いやそうではなくて、対外的にそれらしい理由としては、こんなことがあげられます。

 

  • 場に集まる全員の安全は考慮すべきである
  • セラピーやケアetcではなく、基本的には対話の場である

 

 もっと生々しい理由だってあります。そもそも哲学カフェということばに反応するということは、そういうことに興味がわくから。わたしが大人気ラーメン店に欲情しないように、反応どころか考えもしない人は大勢います。*2

 ほかにも、スキル(情報を得る、理解するなど)、あらゆる余裕(精神肉体時間金銭etc)、住んでいる場所、縁、運、時代など、得ている人は気づきにくいけど、そもそも哲学カフェ自体がめちゃくちゃ制約されています。

 わかりやすくいえば、哲学カフェ(とかそこにくる人って)卵子にたどり着けた精子みたいなもんだよね。←わかんないしその表現やめなさい

 とはいえ、2の内容、非常に重要だと思います。しかしそこに意外性はいるのだろうか?? 劇的なことはあっていいし、啓示になりうるのですが、わたしは身近にある驚きに気づくことのほうが重要なのでは、と考えています。今回もらったメモとかね。

 なぜかといえば、それは常に存在するから。そこにあって、ただ自分が気づけばいいだけ。パラダイムシフトに特別な場はいらない。いや正確には、どちらもあるのが望ましい。

 

今回の結論

 哲学カフェって、結局なに???

 

 結論じゃないwww

 しかし余計よくわからなくなりました。なんということでしょう~。

 まー2019年も哲学カフェ的なことはやっていく予定なので、縁があったら遊びにいらしてね♡どなたでも歓迎しますwww

 

*1:これ気になったわぁwww

*2:切り口を変えれば届く範囲は変わると思います。たとえば真剣10代しゃべり場とかニッポンのジレンマとか?